【逝去】101歳で天国へ行った祖母が残した「粋」な言葉集

こんにちわ SEGAREです

今年の1月

横浜市に住む101歳になる祖母:フジ子が逝去しました。

大往生です。

結婚式みたいに葬儀場がピンクと青空になってました。

大好きなお芋とSEGARE父の寿司を棺に携えて

曽孫からの手紙を携えて

火葬場で天国に旅立っていきました。

一度も私を叱ったことのないフジ子

実は料理が下手なフジ子。そこは祖母として美味しくなきゃダメじゃね?!

60歳越えた時点で「私おばあちゃんだから」と

後年お婆ちゃんキャラを演じ続けた可能性のあるフジ子。

そんな祖母ですが、実は私の名前を決めてくれたのはフジ子でした

2.3個候補があったようですがSEGARE父が

「最後の孫だろうから名前選んでいいぞ」

言ったとか言わないとか。

そんなフジ子は実家の寿司屋の経理を70歳超えてもつづけていた記憶があります。

亡くなった後、筆まめなフジ子からは様々な直筆の手紙が実家とか至る所から出てきました。

フジ子の生い立ち

フジ子は旦那が42歳の時に亡くなってます。

長男。長女。SEGARE父。

3人の子どもを育てるために当時富士通の前身「富士電機」の一期生として

事務方で仕事してたとかしてないとか。。。。

結果、SEGARE父は

「お母さんを早く楽にしてあげたい」

っていう思いから

親戚の寿司屋に中2の夏休みから手伝いを始め

中学卒業と同時に寿司屋の道へ進みました。

当時、15歳。

そこから5年後今店を任されて、店長としてキャリア形成をしていったとのこと

そんなSEGARE父は世にいうマザコンです。

フジ子が亡くなった後も残された手記を見つけては涙を流してます

当然と言えば当然かな

幼少期は本当に貧乏

未亡人で子ども3人育てたとかなかなかの強者

そんな中で

「母を楽にさせてあげたい」という気持ちを

今日まで持ち続けてきたSEGARE父には頭がさがります。

フジ子からSEGARE父への手紙

こんな文章がたくさん残っていまして

経理中にSEGARE父に残していたそうです

書いた手紙を経理作業を終えた後に金庫に添えていたそうです

「結構、粋なことするのね、フジ子!!」

この手記の中で好きなのが

「感謝の気持ちがないと恵まれている事に気づかない」

というフレーズ。凄く心に刺さりました。

やっぱり歳を重ねた人が残してくれた自分の経験から裏付けされた言葉は

残された人々の支えになる様になってるんですね

ありがとう フジ子ちゃん

半世紀ぶりに旦那さんと楽しく過ごしてくださいw

でわわ

 

 

 

 

 

 

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